天文学業界の論文数

 2月28日の日記にコメントを頂いた。その返事を長々と書いたが、折角なので、これをネタにして今日の日記をつけてみることにする。
 過去に何回か天文学者としてアカポスを取るのは大変である、ということを述べた。ちなみに某旧帝大大学院天文学分野における、ここ10年のアカポス取得率は25%だ。算出方法は「ここ10年の間にアカポスを取った人数」を「アカポスを取るつもりで大学院で博士課程に在籍した人数」で割っただけだ。従って、分母には元々博士を取得して企業就職するつもりであった人々などは除かれている。ちなみに同じ機関におけるここ10年の学振取得者率は40%、学振取得者のアカポス取得率は54%。まぁ学振取るのが全てではないということだな。何にしても天文学でアカデミック・ポストを取るのが大変だという事実に変わりはない。勿論この原因の一つに、天文学研究者としてのアカデミック・ポストそのものが少ないという事実があることに議論の余地は無い。しかし私個人としてはさらに、平均的に天文学分野では、他の自然科学分野である物理学・化学・生物学などに比べて、生産論文数が少ないという問題があるのではないかと考えている。
 前にも書いたが、天文学分野では助手を狙うなら論文5本、助教授なら10本は揃える必要がある。しかしこの論文本数は他の分野に比べて有意に少ないのだ。ただしこれにはそれなりの理由がある。例えば観測天文学者なら論文を書くために、まず観測計画書を提出して審査をパスし、望遠鏡や衛星の観測時間をゲットしなければならない。地上望遠鏡なら平均的に年2回、観測衛星なら年1回が観測計画書(プロポーザル)公募が出る回数だ。しかもある天体を観測できる時期は決まっている。最新鋭のすばる望遠鏡などでは、検出器にもよるが、倍率は4〜6倍と言われているし、野辺山の電波望遠鏡などで2〜3倍、観測衛星では4倍程度だろうか。
 そして仮にプロポーザルが採択されても天候条件が満たされなければ、論文にするために十分なデータを取ることはできない。ある観測屋さんなどは海外の非常に良いサイトの望遠鏡を使いに行ったにも拘わらず、一週間滞在して一度も晴れることなく帰国したそうだ。
 そうすると、観測天文学者の場合、毎年観測計画が採択されるか否かで、全体の1/4〜1/3の研究者が観測データを手に入れられないことになる。そしてさらに観測条件が悪いために、使いものになるデータが取れない可能性もある。ちなみに晴れれば良い観測データが手に入るという訳ではない。例え晴天夜でも、気流が不安定なためにシーイングが悪いと、データが使いものにならない事がある。まぁ実際には自分の本来の研究テーマでないとしても、共同研究という形でデータを手に入れることは出来るかもしれない。また大学院生であれば指導教官からデータを回してもらえることもある。
 こうしてみると、観測天文学において、十分な観測データを取るのは非常に時間がかかることがわかる。すばる望遠鏡などでは、一部を除いてある程度のデータがワンショット取れれば論文になる。これは元々、科学的意義が高いだけでなく、論文化し易いテーマが採択されるからだという話もある。
ましてや地道に小中口径望遠鏡を使って、多くのデータを取得し、それによって統計的な議論を行うような研究をしていては、データを揃えるだけで数年かかってしまう。そしてこれは天文学業界において、それほど珍しいことではない。ただ最近はテーマによっては、データ・アーカイブを使ったり大規模サーベイ・グループに食い込むことで、比較的容易に大量のデータにアクセスすることも可能になってきた。
 ちなみにシミュレーション天文学などでも、計算に数日かかるような計算コードを何本も走らせることは極めて普通である。何にしても論文にするべきデータを手に入れるのは容易ではない。
 そうすると、天文学研究者が執筆する論文は、自動的にその数が減ってしまうことになる。勿論ばかばか論文を大量作製している研究者もそれなりには存在するが、決して多数派ではない。

今日は今日の書類が来る

 前回も愚痴ったが忙しいのだ。研究者が研究で忙しいのであれば、それは非常に健康的なのだが、事務書類の作成および提出で忙しいのだ。これは極めて不健全なことだ。
 5月に入るとそれが本格化する、4月は年度始めのイベントが忙しい主要因だが、5月は年度始めの事務書類だ。例えば科研費関連は5月最初が締め切りだ。GWなんてあって無きがごとしだ。さらに事務側で科研費関係の書類を担当している部署の悲惨さなぞ、我々研究者の比ではないだろう、合掌。
 先日もやっと各種申請書、各種報告書、などを提出し終えたと思ったら、また新しい書類が何枚か回されて来た。こんなに事務書類が沢山あるのは、1)人員削減で事務担当者が減ったから、2)事務担当者の人員を増やすために、事務書類を増やす必要がある、3)システムがうまく機能していない、4)実は私は研究者ではなく、事務担当者として採用されていた、のうちのいずれかだろう。出来れば4)だけはあって欲しくないものだ。でも4)が理由なら、私が事務作業に追われて研究が進まない理由は納得できる。まぁ愚痴を言ってるだけでは研究時間は生まれない、とっとと事務作業を終わらせて研究しよう。しかし科研費が当たった場合、多くの研究者が秘書さんを雇う理由がここ最近ようやく分かった気がする。

時にはいつもと違う話題で

 相変わらず忙しい。まぁしかしある意味仕方がない。これは給料のうちなのだ。

 さてオフィスで仕事をしていると、しばしば研究室の電話が鳴る。特に私の職場の電話は外部からも直接コール出来るので、受話器を取ったら研究とも事務仕事とも全く無関係な勧誘電話であることも結構ある。研究者を狙って勧誘電話をかけてくるのは、不動産関係のものが多い。今の職場へ異動して来た当時は、前任者を名指しで「●●先生の研究室ですか?」と聞いてくるケースが多かった。最近は私を名指しで直接聞いてくる場合が多い。なるほど最近の職員名簿をどこからか手に入れたのだろう。ある場所で研究者の仕事先の電話番号などが公開されているという話も聞いたことがあるが本当だろか?嫌な話だ。そう言えば大学時代の友人が、同学年の名簿が数万で売れた、と言っていたが、私の職場でも誰かが名簿を売ったということか?まぁいい、今回のメインは名簿を売る話では無い。

 さて不動産勧誘の電話に対する対応だが、着任当時はもともと出してくる名前が違うのだから「いえ●●先生は既に異動されました」と言えばそれで良かった。一件だけ、さらに「では後任の方ですか?」と聞かれてついつい「そうです」と応えてしまって、しばらく勧誘電話を繰り返し受けるハメになったこともあるが、これも「忙しい」「非常に忙しい」「寝る間も無いくらい忙しい」と頑なに断り続けたので、やがて沈静化することが出来た。念のために言っておくが「忙しい」のは決してウソを言っている訳ではない、純然たる事実だ。そして最近の私を名指ししてくる電話に対しては、当初「不動産の購入を考える経済的余裕が無い」「研究者もリストラされそうな状況なので大きな買い物をするつもりはない」などと応えていたが、先方もさるもので「経済的に余裕があるかどうかは問題では無い、良い物件を提供できるタイミングを(あなたが)得たいうことが重要なのだ」と論点のすり替えとでも言うべき対応をされてしまう。ちなみに以前自宅にかかってきた勧誘電話(やはり何かの名簿に頼ったようだが、先方は明らかに私を他の誰かと勘違いしていたようだ)に対して、論点のすり替えを指摘したら逆ギレされてしまった。後で調べたら最近は強引な不動産勧誘が多いらしい。本当にひっかからなくてよかった。閑話休題。こちらは授業や事務仕事や雑務に忙しく、研究も出来ないどころか「はてなダイアリー」の更新も覚束無いくらいなのだ。興味の無い電話に割く時間などある訳が無い。しかも職場にいきなりかけて来るのは限りなく失礼であろう。研究室の電話は研究その他の公務に使うもので、この電話料金は私を含めた国民が納めた血税によって賄われているのだ。あ、そうか向こうからかけてきた電話だから、電話代は向こう持ちか。いやいや、しかし最近の悪徳不動産勧誘業者の中には「今までの勧誘の電話代を弁償しろ」という輩もいるらしい、何にしても早期撃退するに勝ることはないだろう。そこで私は見事にこの種の電話を打ち払う言葉を編み出した。何故これをもっと早くに思いつかなかったのか。「ただですら借金を返さなければならないのに、不動産など購入出来るか」と言えばいいのだ。一撃だ。「借金ですか?」「ええ」これで相手は諦める。しかもウソなんかではない、これは事実である。私には間違いなく借金がある。しかも返済開始時にはかなりの金額だ。ただ利息は限りなく少ないし、返済期間も非常に良心的なほど長い。しかしこの言葉一つで、今の所、全ての勧誘電話が数10秒のやりとりで穏便に終了している。

 そのうち一度「現在家はある」という回答もしてみたいのだが、向こうが「じゃあもう一軒建てましょう」と言ってくるのが怖くて、試すのを控えている。

気が付くと5月だった...

 3月も4月も日記を更新しようと何度か「日記を書く」を選んで書きかけたはずだが、どうやら書き終えるまでに止めてしまったようだ。もう5月。ゴールデン・ウィークまっただ中だ。特に明日からは5連休。昨夜のニュース中のインタビューで、大学院生らしき若人が「GW中は研究です。休みはありません」と言っていたが、素晴らしい!大学院生の鑑だ。きっと彼はアカポスが取れるだろう。私は若干雑用はあるが、これが終わればいつもの週末よりは多少休みの多い連休にはなりそうだ。相変わらず研究は遅々として進んでいるが、ここ数ヶ月で授業以外の雑用(新入生対策とか研究室ゼミとか科研費がらみとか)をほぼ完璧に完遂した。これでGW明けからはしばらく授業と研究に集中できるだろう。
 しかしここ数ヶ月を振り返ると(ここ数ヶ月に限らないが)自分の職業が何であったか分からなくなってしまうことがある。今日なんかは本来教授が書くべき書類を私が代行して執筆・作成してしかるべき部署へ提出したし、その後はコピー用紙の残量確認と記録、挙句の果ては切れた蛍光灯の交換(しかも数箇所)だ。以前はこういう雑用をやってくれる教室秘書さんのような人がいたのだが、人員削減で雇えなくなってしまい、結局こういう作業は最後に下っ端へ流れてくるという訳だ。アカポスだ何だと言っても、研究が出来る事務・用務員だわな。そうそう、その後は学部生に機材の使用方法の手ほどきをしたね。その後ようやく時間が出来て、現在は頼まれた講演の準備をする合間に「はてなダイアリー」に久々に書き込んでいるという訳だ。
考えてみれば俗に言うレベルの高い大学院のスタッフは何かと得である。スタッフ数が増えれば、学術雑誌に使う費用も一人当たりの負担が減るし、担当する授業の数も少なくて済む。それから学生のおつむの質が良いから、基本的なことを教えるために時間を割く必要がなくなる。それこそうちの研究室なんかでは学部3年生のゼミの最中に、sin(x)の積分すら数十分かけて説明しなければならないくらいだ。sin(x)だぞ、こんなのは高校の数学だ。これすら知らずに大学の卒業研究で天文学をやりたいなどとは、身の程知らずもいい所だ。まぁ大学3年生になって、三角・指数・対数関数の積分微分が出来ない人は、天文学者になるのは諦めた方がいい。まず大学院入試には絶対パスしない。また何かの間違いでパスしたとしても、4年費やしても修士の学位は得られないだろう(普通修士は2年で取る)。とっとと適当な企業に就職することをお勧めする。ちなみに博士の学位は普通3年で取れることになっているが、これは万が一取れなくても、それほど悲観することは無い、論文博士という方法もあるし、何よりも結果を出すために数年の時間がかかる研究をする場合もあるのだ。天文学の世界では少数とは言え、博士号なしでアカポスを取って仕事をしている方もそれなりにいる。しかし、はっきり言おう、修士を2年で取れないのは、本人に才能が欠片も無いか、本人があまりに怠惰であったためだ(勿論病気による休学などは除く)。修士を2年で取らない場合も、アカポスのゲットは諦めた方がいいだろう。同じ世代で君以上に使える人間は確実に30人はいるからだ。とっとと修士貰って企業就職しておいた方がいいだろう。
まぁ後、アカポス取るのは大変だよ、と聞いてビビる奴も研究者になるのは諦めた方がいい。そのような胆力では、その大変さの中へ飛び込んで、自分本来の研究をこなしながらプラス・アルファの業を極め、各所へアピールしていくのは無理だ。間違いなく無理だ。修士卒か学部卒で企業就職を狙うのがベターだ。
おかしい、忙しい話を書くつもりだったのだが...

みんな〜アカデミックポストが欲しいか〜!(その3)

 この挑発的なタイトルでの日記はこれで最後になるかな?正直アカデミックポストを得た私自身にも、どうすれば天文学者としてのアカデミックポストを得られるか、はよく分からない。だが幾つかの要因を挙げることは出来る。前回も書いたがこれからの天文学研究者は「40歳までに准教授(助教授)ポストを取れるかどうか」が運命の分かれ道になると思われる。これではとても他人に進められる職業では無い(笑)、実際に進めてないし...だがそれでも天文学研究者になりたい、という若人のために、その幾つかの重要な要因をお知らせしておこう。
 まずその一。論文を沢山書けば、本当にアカポストが得られるのか?最近の天文学会年会では、天文教育フォーラムの中でOD・PD問題が取り上げられており、そのまとめは「天文月報」(日本天文学会の会報誌)に掲載されている。ここにも明記されているが、大抵の募集先において「研究しか出来ない、研究にしか興味が無い、研究しかしない」という人は、全く理想的な人材では無い。前にも書いたが大学において一番重要視されているのは大学の運営、各種委員会活動および講義・実験・演習の実施だ。個人の研究の実施は軽視すらされていると言える(その割りに昇進の時にはこれが効くのだ!何という矛盾???)。従って、研究論文は人事絡みの会議で認めてもらえるだけの数があれば良い。私がアカポスを得る前に、いろいろな方々から聞いた話では「助手狙いならば5本あればOK、これ以上は20本あっても特別有利にはならない」(勿論例外はあるだろうが)とのこと。つまり論文が5本くらいあれば、候補には十分残れる可能性があるということだ。助教授(准教授)狙いであれば、5本では足りず、大抵の公募書類では10本くらいが求められている。さらに助教授ともなれば科研費の獲得数なども重要なポイントとなる。著書などもあれば好印象を与えられるだろう。
 次にその二。プラスアルファで売り込める点があること、である。ADSで検索すれば一目瞭然だが、助手狙いで論文5本以上とか助教授狙いで論文10本以上、などという条件は大抵の若手や中堅どころには該当する条件だ。ただし助手ポストに限って言えば、論文数が例外となることも結構あり、それが「プラスアルファ」の売り込み点が強い場合である。具体的に言えば、論文はそれなりに書いている(勿論0でなければ5本より多少少なくても構わない)が、ある一点において他者を遥かに凌駕する能力や業績を持っている(勿論単純な論文数以外で)、ということである。例えば機器開発のある重要部分についてはこの人材でなければダメだ、とかソフトウェア開発においてこの人材は様々な処理方法に通じていて自由自在にコードが組める、といった点だ。このポイントは『誰でも出来ることでは無く、こいつじゃないとダメだという「換えの効かない人材」になること』だ。これは特に機器開発・ソフトウェア開発で実績を挙げる場合に重要だ。だが機器開発やソフトウェア開発に参加するだけでは、このような「換えの効かない人材」になることはまず有り得ないので要注意だ。
 さらにその三。コネ、である。実際のところはコネというと御幣を招くのだが、要は人となりをどれだけ売り込めるか、だ。これはある意味で業績以上に重要だ。若者たちは何故そんなものが業績以上に重要なのだ?と思うかも知れない。ひょっとすると卑怯だ、と思うかも知れない。しかしここでちょっと採用する側に立って考えてみて欲しい。ポスドクであればどんなイヤなヤツでも2年我慢すれば居なくなる。しかしアカポスは別だ。ヘタすれば自分が定年退職するまで一緒の職場にいるのだ。イヤなヤツと数十年間一緒だぞ?君なら我慢できるのか?従って採用する側が『こいつを仲間に入れたらグループが上手く機能しそうだよなぁ』という人材になる必要がある訳だ。アカポスをゲットしたらこいつは我々と仲良く一緒に働いてくれるだろうか?自分の研究ばっかりしてこちらに全く協力してくれないんじゃないか?こいつがネットワークに長けていたらオレは少し楽ができるなぁ。学部生にプログラミングくらい教えてくれるといいなぁ。実験と演習くらい任せられるヤツなら嬉しいなぁ。なんてことを考えながら適任者を選ぶのだ。教授や助教授はただでさえ○○委員会だのXXワーキンググループだの学内の役回りばかりで研究どころではないのだ。新入りの助手や助教授がそれを横目で見ながら研究ばかり出来ようはずもあるまい。君はそうは思わないか?そうハッキリ言おう「人となり」も実力なのだ。所詮論文数は実力を測るパラメータの一つでしかないのだ。
 あと最後に意外と見落とされがちな要因がある。それは君たち応募者の年齢と、応募先の教員の年齢構成だ。独立行政法人化に伴って、大学や研究所教員の人事は原則公募となった機関が多いと思う。しかしながら例え公募が建前であったとしても、前述したような理由から助教授(准教授)以上の人事は事実上内部昇進になるような機関も決して少なくないだろう。現在所属している助手が役に立たない(必ずしも論文を書かないという意味では無い)のであれば別だが、そうでない限りは「人となり」が保証されている現在の助手を助教授(准教授)に昇進させた方が確実では無いかね。さてここで問題の年齢構成だ、例えば君達が助手に応募した大学なり研究機関なりで、ほぼ同世代の助手が既にいる場合、君達がそこに採用される可能性は少ないだろう。同世代の助教授、ましてや君よりも年下の助教授がいたりしたら、それはもう絶望的である。特に応募先が小さい組織であればなおのことだ。君が既に着任している助手だったらどう思う?自分よる年上の人間が新入りとして入ってくるのは少し気が引けるだろう?ましてや君が助教授だったら年上の助手なんか取れるはずないではないか?いくら役職は君より下でも、年上の人に雑用を頼めるか?勿論例外はある、しかし年齢構成は重要視されるケースが多いぞ、例え公募条件が「XX歳までの方」であってもだ。

みんな〜アカデミックポストが欲しいか〜!(その2)

 昨日は大学の職制が、従来の『教授、助教授、常勤講師、助手』から『教授、准教授、常勤講師、助教、助手』に変わる、という話だった。そして呼び方が変わるだけでなく、新しい『助教』は将来の准教授・教授候補としての研究者という扱いであり、新しい『助手』は一般のイメージの実験助手や技官という扱いである。そして若手研究者にとって重要なのは、この「助教」ポストが、従来の「助手」ポストとは大きく異なることが問題なのだ。
 国立大学の独立行政法人化は、いわば公務員のリストラ計画の一端である訳で、大学の経費削減や人員削減などが常に叫ばれ、また反対意見も噴出している。ところで大学で人員削減が実施される場合、一番問題なのは何だろうか?そう授業なのだ!大学の授業は一端開講されると、簡単に失くすことは難しい。勿論これは大学を運営する上層部にもよるのだが、大学教員の第一の義務は授業をきちんとこなすことなのだ。また大学教員のリストラとは言え、いきなり肩を叩いて「辞めてくれる?」などと言えるはずも無く、穏便な方法としては定年退職された教員の補充を行わない、という手段が多く用いられるようだ。教員総数が減ると教員一人当たりの授業担当数が増える。そうすると個人の研究だけでなく、自分が担当する卒業研究生(4年生ね)の面倒を見ることも難しくなってくる。そこでどうするか?従来講義が出来なかった「助手」を「助教」に引き上げ、「助教」は講義が出来ることにするのだ。これによって教員数減少の弊害を補おうというわけ。
 ところがこの新しい『助教』という役職は「任期制にすることが望ましい」とされている。現在国立大学法人は5〜6年の中期計画目標を軸に運営されているため、「助教」に任期が付くとすると、おそらく5年になるだろう。つまり5年たったら自動的にクビを切られる(いささか問題のある表現だが)のである。つまり今までは講義無しで任期無しだった「助手」ポストが講義義務で任期5年の「助教」ポストに様変わりしてしまうのだ。これは「助教」というポストが今までのポスドク研究員なみ、いや寧ろそれ以上にハードなポストになることを意味している。結局「助教」は任期の長いポスドク研究員と何ら変わらなくなってしまうのだ。勿論あくまで常勤職なので福利厚生については今まで通りだろうが...
 
 改めて天文学業界を省みると、今までは『35歳までにどこかの「助手」につければラッキー』、という状況が『40歳までにどこかの「准教授」につければラッキー』という状況になる訳だ。これから天文学研究者を目指そうと思っている諸君、40歳まで定職に就けないというこの状況を知ってなお、天文学研究者になりたいかね?それでも「なりたい」と言うならばpuncponkはもう何も言わない。死にもの狂いで勉強し、研究業績を出して、そして自分自身をきちんと売り込んでアカデミックポストをゲットしてくれ。諸君の健闘を心から祈っている。

みんな〜アカデミックポストが欲しいか〜!

 挑発的なタイトルにしてみた。天文学研究者目指して日々喘いでいる若者にしてみれば、このタイトルに対する応えは「当たり前だ!」となるだろう。特に大抵のケースで「論文を沢山書けば研究者になれる」と指導を受けるため(ホントか?)、大学院生やOD(注1)、PD(注2)は目の色を変えて論文を書くことになる。君達、ハッキリ言って好きな研究が好きなだけ出来て、しかも論文なんかを執筆する時間があるのは、今のうちだけだ、せいぜいた沢山書いておいてくれ。ただし論文書くだけじゃあいつまでたってもアカデミックポストは取れないぜ。
 まぁ分からない人のために、ここで簡単に天文学に関連した大学や研究所の職制を述べておこう。まず一般に偉い順に「教授」「助教授」「常勤講師」「助手」となる。これに加えてPDや定年された先達が就くポジションとして「非常勤講師」があるが、これは上記の職制からは外れたポストだ。「教授」「助教授」「常勤講師」は教授会のメンバーであり、特に「教授」は最終的な人事権などを握ることになる。従って将来学長を狙う場合の一つの手としては、教授になって人事権を握り、仲間を多く登用する、なんてことがある(ホント?)訳だ。一般には大学で独立に講義が出来るのは「教授」「助教授」「常勤講師」だけである。「助手」はあくまで補佐役として「実験」「演習」を担当する。ただし自然科学系では「助手」でも実際上講義を担当することが多い。「常勤講師」は事実上「助教授」と考えていい。年齢がまだ若い、とかあと数年で「助教授」ポストが空くのでこの人材をキープしたい、などという場合に「常勤講師」のポストが使われる。特に内部昇進では無く、外部から助教授クラスの人材を取った場合は、まず「常勤講師」にしておいて、翌年とか2・3年後に助教授に昇進させるケースが多い。結局、ほとんどの場合は「教授」「助教授」「助手」というポストだけを考えれば良い。解説が遅れたが、最初に述べたアカデミックポストというのはこの常勤職である「教授」「助教授」「常勤講師」「助手」のこと。しかも若造は大抵の場合「助手」からスタートだ。その意味では「非常勤講師」も研究職であるのだが、任期があるか無いかという意味で、普通「非常勤講師」はアカデミックポストに含まれない。同様に「非常勤研究員」も同じである。
 しかしここに来て、大学の職制が変わる。平成19年度から従来の『「教授」「助教授」「常勤講師」「助手」』が『「教授」「准教授」「常勤講師」「助教」「助手」』となるのだ。まず一つは「助教授」が事実上独立した研究者であり「教授」を「助ける」という意味にそぐわないため、これが「准教授」となる。「教授に准ずる」という訳だ。また「助手」は研究分野によって複雑になっている、という実情がある。具体的に言うと自然科学系の「助手」は博士号を取得し「最前線で働く一人前の研究者の一人」という扱いだ(少なくとも天文学ではそうだ。ただし論文の再現性で先日槍玉にあがった東大の教授は「助手の指導ができていなかった」とコメントしているので、自然科学系でも一人前でない「助手」がいるのだろう)。よく「実験に失敗ばかりして教授に怒られる助手」というキャラクターが漫画に出てくるが、天文学では考えられない「助手」像だ。それに大して人文科学系や社会科学系の「助手」はまさしく「助手」だ。博士号はおろか修士号も不要で、就職できなかった卒業生が臨時に雇われるケースなどが多いようだ。土屋賢二氏のエッセイに出てくる助手がこれに近いイメージだろう。また自然科学系でも同様の「助手」が存在する。助手と言っても場所が変われば品変わるで、将来の助教授・教授候補としての助手、とあくまで補佐役としての助手、がある訳だ。今回の職制変更では前者が「助教」になり、後者が「助手」のままになる。これによって範囲が広かった「助手」をきちんと区別しようという訳だ。
 
(注1) OD=オーバードクターの略。和製英語との噂も聞くがpuncponk自身は確認していない。大学院博士課程を修了し、博士号も取得したが、大学や研究機関に入学金と授業料を「支払って」そこの図書・資料や研究機材・研究環境などを使用する権利を獲得した身分。一般には大学院研究生と同義。履歴書では学歴として記載できる。学生証も発行してもらえるが、学割証明書は発行してもらえないし、研究会出席や観測のための旅費も出してもらえない。さらに身分継続は2年までなので、3年目をやる場合はまた入学金を払わねばならないケースもある。結構辛い身分。

(注2) PD=Post Doctoral fellowの略。通称ポスドク。大学院博士課程を修了し、博士号を取得した後、大学や研究所で非常勤研究員として給料をもらって大学や研究所の仕事をしながら自分の研究を行う身分、「ポスドク研究員」と言うこともある。多くの場合1年毎更新最長2年まで、もしくは2年契約である。天文学業界では数年前までは国立天文台の非常勤研究員や教務補佐員、東京大学の非常勤研究員くらいしかなかったが、最近は21世紀COE(Center Of Excellence)プログラムに採択された大学などでもこれに基づく研究員(COE研究員)が採用できるようになったため、ポスドク研究員の数は飛躍的に増大した。ただしあくまで非常勤なので、任期が切れた後はまた別のポスドク研究員に採用されるか、任期無しのアカデミックポストを得なければ、研究で食べることを諦めるかODになることになる。ODほどではないにしても、やっぱり辛い身分に変わりは無い。