気がつくと年度が替わる時期ですな。

前の書き込みから何ヶ月たったのだろう。来週はもう2007年春季年会じゃないか。この時期は年度替わりなので、新しい卒業研究生の受け入れ準備や、4年生の卒業研究&送り出し、そして新1年生の受け入れ、と事務絡みの作業がとっても多い(卒業研究は違うが)。さらに学会発表の準備もあり、さらに新年度の講義や実験の準備もある。これらをパラレルに行うのは、かなり大変だ。年間を通して研究が停滞する時期があるが、この3月から4月にかけてが、まさしくその時期だ。ここを乗り越えれば、7月中旬から始まる試験&前期の成績提出まではそこそこ研究が進められるはず、ヘンな邪魔さえ入らなければね...

あれれ、やっぱりリング状星雲???

昨日の日記で書いた某放送局の某番組。じっくり見ていた訳ではないが、番組そのままでつけっぱしにしていた所、再びマウナ・ケア山頂と「すばる」が紹介された。そして再びM57が登場。今度はきちんと「こと座の惑星状星雲」と紹介されていた。やっぱり冒頭のテロップは私の見間違いのようだ。お騒がせして申し訳ない。

こと座のリング状星雲なのでは・・・

先ほど某テレビ局の番組「地球創世ミステリー」なる番組の冒頭を見た。すばる望遠鏡とそれで観測されたらしい天体画像が幾つか出てきた。しかし・・・M57(こと座リング状星雲)についたテロップが、「こと座電波銀河・・・」だった。私の見間違えかも知れないが・・・なんせ数秒しか表示されてなかったから・・・

あ〜とうとう9月だよ。

先日から助教問題について日記を綴っているが、puncponkが所属する機関でも先日それなりの動きがあった。しかしまだこれについて公にするのは時期尚早だろう。もうしばらくしたら問題の無い程度に記したい。

9月になり研究室によってはゼミなども始まっている。しかし当方の卒業研究生は全く来ない。顔も見せない。大抵の研究室では8月いっぱいは夏休みだろう、うちでも勿論そうだ。しかし学生の夏休みは、学期間中にきちんと卒業研究を行っているからこそ意味のあるものではないのか?普段から卒業研究をしない、夏休みは8、9月と休む。これは「卒業研究をしない」そして「卒業しない」という意思の現われなのだろう。彼等の意思は尊重されなくてはならない、「卒業しない」と言っているのを無理に卒業させることもあるまい。学費を入れてくれる限り、彼等は大切なお客さまだ。まぁ気が変わったら、来年でも再来年でもしっかり卒業研究をして卒業してくれ、どうせ8年生までしか居られないのだから。しかし彼等は就職活動をしていなかったか?「卒業しない」と意思表示しているのに就職活動をするのは矛盾した行動だな。どうせ卒業しないんだから就職活動なんてムダなことはしなくてもいいよ。万が一、内定をもらったらどうするんだ。言っておくが「就職内定が出た」という事実は「卒業できるか否か」という事象とは独立だからね。まぁ若いうちは好きにさせてあげるよ、puncponkは若者に理解がある研究者だからね。しかし今月の福岡での九州国際大学での日本天文学会はどうしようか?

助教使い捨て制度まで秒読み段階

先日、またまた憂鬱なニュースを聞いた。多くの大学で「教授、准教授、常勤講師、助教(、助手)」制となり、しかも大抵のケースで「助教」の給料は「助手」と同じとし、さらに「助教」は教室構成員にするケースが多そうとのことだ。教室構成員とは従来の教授・助教授・講師である。教授会への出席、各種委員などの割り当てが義務であり、講義をはじめ卒業研究指導などの責任を負う方々である、建前上は。。。今までの助手は本来上記義務が無い。せいぜい講義の一部や演習の一部、実験の一部を補佐する程度である。まして卒業研究生を担当することは有り得ない。しかし多くの理工系学部では、実際は助手が講義・演習・実験を担当している。おそらくこれが外部へ出たら、その講義・演習・実験に対しては過去に遡って単位が出なくなり、上層部は間違いなく責任を追及されるだろう(マジで)。つまり現状において、助手という地位にいる研究者は、本来義務ではない業務を大量に背負わされている。そして「助手」であるが故に、それ以上の雑用をも、さらに背負わされるのである。

 ここで多くの大学の方法にのっとって「助手」が「助教」になると何が起こるか?簡単である。従来の助手が助教になることで、今まで文系学部の目を盗んで助手に行わせてきた、講義・実験・演習を堂々と行わせることが出来る。さらに教室構成員にすれば、各種委員などに任じることもできる。現在大学や研究所は教授の定年退職の後を人事凍結することで、人員削減に対応している。従って、実際に減った分の授業を担当する頭数がどうしても必要なのだ。それを公に助教に押し付けることが出来るのだ。しかも助教の給料据え置きで、である。

現在の助手からみれば、これはたまったものでは無い。公に裏に多数の講義・実験・演習、卒研指導を担当している上に、他の雑用も降ってくるのだ。当然それらに関わる責任も重いものになる。しかし給料はそのままだ。しかも新制度のもとでの助手(本当にお手伝い、研究は全く義務ではない)が新たに採用されるわけではない。従って今まで担がされてきた雑務は、引き続き助教が引き受けることになる。これで任期が付いたらもう何もできない。ポスドクの方がよっぽど研究できる。昇任の際には論文を要求するくせに論文を書く時間を一方的に奪い、雑用に使わされる。そしてその雑用で教室や学部、大学は文科省に大きな顔をしてアピールするくせに、それに携わった助教を内部では評価しない。全く矛盾したことである。さて内部昇任を狙うか、外へ出るか、そろそろ考え時だ。

字を間違えていた、『准』だった。

学校教育法が一部改正され、それによって平成19年度から職名の呼称とその職務内容が変わることとなった。うちでもそれに関する各部署の意見が求められ、アンケートだの意見書だのといった書類が回ってきた。そしてpuncponkは知ってしまった。「準教授」じゃなくて「准教授」ではないか!先程慌てて過去の日記の誤字を訂正した。いくら匿名とはいえ、自らの愚かさをワールド・ワイドにアピールしてしまった。こりゃ任期付にもなるわな。
そうそう、先日までの天文学者の論文数が少ない話について、一つ訊いた話を思い出したので紹介しておこう。何でもある大学の天文学研究室に新M1生が入って来た。そいつは別の大学で物理学だか化学だかで既に一つ修士を持っているとのこと。天文学にも興味を持ったので、改めて修士課程から学びたい、と思ったらしい。
そしてある時、その新M1生の先輩院生が、彼を観測に連れて行った。一週間ばかりの観測だったらしく、そこそこ晴れて、それなりにデータも取れたらしい。話によると、計画の全サンプル中の1/4ほどのデータが取れたとか。まぁ特別な観測でない限り、この程度は普通だろう。しかしその新M1生は、一回の観測で全サンプルの1/4というのを聞いて驚いた。彼には2〜3年もかけてデータを集めて一つの研究を完成させる、というのが信じられなかったらしい。1年くらいの研究(つまり数日の観測1回)で、簡単に新発見ができるものと思っていたらしい。彼はその前にも他の先輩院生についてデータ解析を勉強していたらしいが、あまりモノにならなかったとか。はぁ。キミ、そんなに天文学は甘くないぜ。その新M1生は、今は観測天文学からは足を洗った、ということだが...
まぁともかく、「準教授」ではなく「准教授」が正しい呼称だ、という話だ。

天文学業界の論文数(続き)

 さて天文学研究業界全体で論文数が少なくなると何が困るか?(そう言えば以前に自然科学のある分野などでは、筆頭著者論文は教授・助教授クラスになって、プロジェクトを立ち上げてその成果が出た時でないと書けない、などという話を聞いた、本当だろうか?)閑話休題。業界内部では論文数にある程度コンセンサス(?)があるので、業界内で閉じている場合には問題無い。問題になるのは、他の業界と接触する時である。具体的に言えば、公募で求められている人材の専門分野が「実験物理学」とか「自然科学であれば特に分野を問わない」(本当にある)などという場合だ。天文学業界で標準的な論文数であっても、それでは論文数で他分野(主に物理学、化学、生物学)からの応募者に勝てないのだ。平均的な論文数で、自然科学の他分野と張り合えるのは、X線天文学分野くらいではなかろうか?
 すると、折角天文学が入り込んでポストを増やせる機会があっても、それは決して天文学のものにはならないのだ。特に小規模の教室や研究室での公募では、他分野・他教室にも意見を図らねばならないので、なおある程度の論文数が求められる。ある小機関では、人事の際に、応募者と典型的な天文学研究者の業績数(論文数がメインだったらしが)を比較することで、他分野の研究者を納得させたと聞いている。まぁそのくらい天文学研究者の論文数は少ない訳だ。
 ちなみに某大学で教員業績を数値化する時に、各研究分野で典型的な研究者の業績数をリサーチ(論文検索データベースを使えば簡単な作業だ)して、それと比較すべきだ、という意見が出たらしいが、化学や生物学分野の研究者から大反対を受けたとのこと。主な理由は分野ごとの典型的な業績数をリサーチするのに手間がかかる、ということだったらしい。しかし天文学分野で典型例を抽出するのに、数日であったことを考えると、これは本当の理由ではあるまい。元々自然科学には論文数が多い分野と少ない分野があり、単純に論文数で比較するようにしないと、有利になれない分野がそれなりにある、ということだろう。
 勿論、人事は今後数年から場合によっては数十年の同僚を選ぶ作業である。単純に論文数だけで選ばれる訳ではないのは以前にも述べたが、その業績を何らかの数値にしてみせなければならないのもまた事実なのだ。おっとまた話が逸れた。兎にも角にも、浮動ポストとも言える地方国立大学や私大においても天文学研究者のポストがほとんど増えない(全く増えていない訳ではないが)のは、天文学研究者の生産論文数の先天的な少なさにも原因があるのではないだろうか?元々自分の研究が一番面白く重要である、というのが研究者の本音である。そんな研究者の業績を単純な論文数や論文引用数、論文ページ数などで評価しようというのが無理なのだ。まぁ差を付けるためには仕方ないけれど。
 なので、天文学研究者のアカポスを狙う若人達よ。地方国立や私立大学にもポストはある、などとは考えないことだな。時々つまらない論文なら何本でも書ける、という奴もいるが、それならまず何本でも書いてみせてくれ。