天文学の教育と普及についての思うところ

前にも述べたかもしれないが、天文学の研究業界内部では、天文学の教育と普及が「意外にも」しばしば話題にあがる。数年前だったか、お上の偉い(肩書きの)方が「専門家は研究室にこもらずに広く外へ出て、自分の研究や関係した物事を一般に語るべきだ」という発言をしたことがあった。研究者の間では、当時はそこそこ話題になったのだが、天文学業界内においては、何を今更、といったイメージが強かった。勿論研究のみを行っているような天文学者も決して少なくは無いが、他の自然科学分野に比べれば、天文学研究者の教育普及への関わり度合いはかなり高いだろう(勿論それをきちんと示すことが出来る資料は無い)、と思う。この私のような、研究者としては無名かつ未熟者(<---謙遜です)ですら、数回の一般向け講演をしたことがあるのだから。
そしてしばしば教育普及で問題になるのが、どの程度まで専門性の高い話をするかという点である。勿論これは聴衆の種類によるのであるが、業界内では大きく二つの意見に分かれるように感じる(勿論これは私の感じ方であるが)。一つは「ある程度難しいことでも、何らかの方法を持って、なるべく正しく伝えるべき」という意見であり、もう一つは「少しでも難しいことは避けるべきである、でなければ理科離れの激しい今の世代や、年配の一般聴衆に受け入れられないだろう」という意見である。これを考えた時私は、以前ある人から聞いた日本の二つの武道の異なる選択を思い出す。それは「柔道」と「剣道」である。前者は試合ルールを外国人でもある程度理解できるような方向へ転換し、道着についても最近はカラーを認めるなど斬新な改革を行った。今では柔道はオリンピック正式種目にもなり、テレビなどでもしばしば試合の放送を見ることが出来る。そして柔道自体は武道からスポーツの要素が濃いものとなった。一方後者はどうであったか?後者は日本武道に独特な(つまり外国人に理解しにくい)概念を頑なに守りつづけた。ひとえに上層部が武道のスポーツ化を恐れた、ということもあったとのことだが、結局こちらは柔道に比べて限りなく知名度の低い武道のままである。その代わり(?)こちらは今でもスポーツ化することなく、日本古来の武道精神(ワビ・サビみたいなものか)を無事に継承できているらしい。
天文学の教育普及をどのように行うか?これはこの二つの武道の違いに似ていないか?安易な普及はスソ野を広げるものの、全体のポテンシャルを落としてしまう。かといって余りに専門性を高くしてしまうと、天文学は一部のわずかな研究者のものとなってしまう。今後は程良い妥協点を見つける必要性があると思うのだが、研究者によって教育普及ポリシーが違うため、本当の意味での妥協点は決して見つからない。ただし教育普及を行う私たち自身のポテンシャルは常に高い方向を目指したいものである。専門から一般へ移行は、個人の努力で可能であるが、その逆は非常で困難なのであるから.....