データの偽造・捏造

 最近立て続けに論文捏造疑惑事件が報道された。黄教授(ソウル大学)の胚性幹細胞に関する研究論文と、多比良教授(東京大学)のリボ核酸(RNA)に関する研究論文のことだ。ここからは、主に新聞報道に基づく個人的な意見を述べたいと思う。両者ともいろいろと問題があるが、実はこの両者には大きな違いがある。あくまで今マスコミに流れているレベルでの話だが、前者は「元々存在しないデータを存在すると装った」という疑惑が問題にされており、後者は「既に受理された論文の結果に再現性が無い」という点が問題にされている。特に後者については「再現性が無いのはおかしい」ので調べてみたら、「実験ノートが無い」ことから捏造疑惑が生じている。
 自然科学をまともに学んだことが無い人には理解不能だろうが、黄教授の事件については明らかに「捏造」であり、研究者としての方法・倫理に著しく問題がある。その意味ではどのような処罰を受けても文句は言えないだろう。
 では多比良教授のケースはどうだろうか?個人的には実験ノートが出てこないことで「黒に近い灰色」といったところだが、そもそも最初に上がった「実験結果に再現性が無い」という部分「のみ」については何ら問題は無いのである。その意味では、新聞にデカデカと「実験結果に再現性無し」とアオリ文句を入れた新聞社には、ロクな科学分野担当記者がいないか、科学に対して無知なデスクがアオリ文句を考えたか、のいずれかだろう。なぜなら「再現性が無い結果を掲げた研究論文などまさしく山程あるから」だ。寧ろ、ある研究者が出した結果を、他の研究者がその再現性を確認して最新の結果を更新していくことは、科学の健全な手法なのだ。
 化学、生物学、医学、天文学、物理学いずれの場合も他者と全く同じ設備・環境で実験を行うことは不可能である。場合によっては研究室の立地条件、使用した器具のメーカーの違い、機器のスペック、などの僅かな違いで結果が大きく変わることもあり得るのだ。例えば数十年前に観測された星雲の画像とハッブル宇宙望遠鏡が写した同じ星雲を比べて「再現性が無い」と騒ぐ人はいないだろう。望遠鏡のスペックが変わったから違う質の画像が撮れただけのことだ。まぁこれは極端な例だが東大の多比良教授のケースも「最初」はその程度のことだったはずだ。
まぁ「再現性がなかった」こと自体は残念なことではあるが、糾弾される筋合いのものでは無い。しかし問題はその後のことだろう。まず「実験ノートが存在しない」という助手のコメントはおおよそ自然科学の研究者としては考えられないことだ。修士課程の院生ならまだしも、アカデミックポストを取る人間がPCのみに記録をして、実験ノートを記述しないというのは到底信じられないことだ。また教授の「助手が勝手に実験して発表したもの」というコメントも問題だろう。確かに論文は助手が筆頭著者だが、教授も連名になっていたのであれば、論文内容に対してそれなりに責任を持たねばならない。持つからこそ著者として名前を連ねることが出来るのだ。
問題にすべきは「再現性の有無」では無く、実験データの保存を蔑ろにし、なぁなぁで著者に加わるという、彼らの自然科学に対する態度であろう。